百円読書(税別)

百円で買った本を読み、ノートします。

#7 ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』★★★★★

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子ども向けの本という言葉は、大人が読むには幼稚すぎたり、未熟すぎたりするといった意味で使われることが多い。でも「アリス」は、違った意味で「子ども向け」だ。この徹底した言葉遊びの応酬は、子どもこそがしんから楽しめるものだろう。大人になると、どうも余計な斟酌や考慮が入り過ぎてつまらない。

 

「何考えてはるかはわかっとるよ」とトゥィードルダム。「でも、じつはちがうんやな、ぜーんぜん!」

「逆に」とトゥィードルディーが続けました。「もしそうやったら、そうかもしれんし、かりにそうやとしてみたら、そうやったろうけど、じつはそうやないから、そうやあらへん。これが論理ちゅうもんや」

 

 

 

「『栄誉』ってどういうことか、わからないんですけど」とアリス。

ハンプティ・ダンプティは小ばかにしたように、ほほえみました。「そりゃあ、わからんだろうよ――わしが教えてやるまでな。『こいつは君がぎゃふんというようなすてきな議論だ!』という意味だ。」

「でも『栄誉』は『ぎゃふんというようなすてきな議論』という意味にはなりません」とアリスは反論しました。

「わしが言葉を使うときは」ハンプティ・ダンプティはかなり軽べつした調子で言いました。「言葉はわしが意味させようとしたものを意味する――それ以上でも以下でもない。」

「問題は」とアリス。「言葉にそんなにいろんなものを意味させられるかどうかということです。」

「問題は」とハンプティ・ダンプティ。「言葉とわしのどっちがどっちの言うことをきくかということ――それだけだ。」

 

本書の会話はほとんどすべてこの調子。言葉が言葉を裏返し、論理が論理をひっくり返す。これをパラドックスとか言語パズルとか、いろいろ言いようはあるだろうが、子どもたちの会話を聞いていると、たいていこんなふうに言い合っているものだ。大人から見れば単なる屁理屈の言い合いだろうが、実はそれは違う。子どもたちはこうして言葉をこねくり回し、論理を遊ぶうちに、そのあやふやさや矛盾や小難しさをハンドリングし、言葉との距離の置き方や取扱い方を学ぶようになっていくものなのだ。